商いのROOTS

商いの括りでこれまでの事を書いてみました。自己紹介に変えていただけますと幸いです。

  1. ビジネスモデルを作ってみたら褒められた_学生時代

  2. 予算10億円を上手に使う訓練

  3. だいたい1億円の売り上げをだいたい2億円にする訓練

  4. ​ベルギーに買い付けに行ったら魂を喰われた

  5. ​またビジネスモデルをつくる

1. ビジネスモデルを作ってみたら褒められた_学生時代

建築の設計課題とデザインコンペばかりに明け暮れていた学生時代、ひょんなことからベンチャービジネス特論を受講する事になります。大学院で都市デザインを専攻していた頃の出来事と思います。研究室の皆が参加するので参加した講座でしたが、自分の知らなかった一面を知る事になります。

当時スマトラ沖で大きな地震があり、自分なら何ができるのかをただ考えていたのですが、それを丁度受けていたベンチャービジネス特論の講座で発表する事になります。「私はこの箱を売ります。中に水が入り、その空き箱でシェルターを建設することができます。C130輸送機で被災地に投下し、飲料水と簡易シェルターを同時に届けることのできる特殊形状のガロンボトルです」と、初めて作ったビジネスモデルもプロダクトアウト。今とさして変わりません。「災害支援物資エアブリックの開発と販売」という感じのタイトルでした。

005_edited.jpg

エアブリックの資料をなぜか全く持っていないのですが、鹿児島県大会、九州大会でグランプリを頂き、全国大会でTDK特別賞を頂きました。道中でいただく賞金の全てを開発に注ぎ込み、全国大会では5分程度で小さなシェルターを建設するモックアップまでつくることができました。当時のメンバーは私を含めて3名、即決で賞金を試作につぎ込む判断をしたメンバーは気づけば全員が経営者になっています。私は商いをシンプルなルールを持った道具だと思っていることを自覚した時期でした。

 

留年しかけていた私でしたが、大学院を卒業する頃には学校が表彰状をくれたり色々な新聞などに取り上げていただいたりと、大きなことが起きていた時期でもあります。このビジネスモデルの発表に先立ち、請求項数十件に及ぶ特許申請を大学の全面的な協力のもとで行えたことは、のちに権利関係を自社で整えるスタイルへと続く礎となっています。研究室の松永安光先生に応用可能な提案スキルを叩き込まれていた事に加え、稲盛財団から派遣されていた優れた講師陣の編集力あっての結果でした。

2. 予算10億円を上手に使う訓練

建築設計を仕事にする事に決めていた私は、ゼネコンの意匠設計部に入社し東京で暮らし始めます。意匠設計課は当時3課に別れていたのですが、私が配属されたのはプロポーザルから引き渡しまでの設計を行う部署でした。自分の生活感覚とはかけ離れた巨額の予算を算出し、プロポーザルで選んで頂ければそのまま実施設計に移って建設していきます。最初からお引き渡しまで経験できていたことは、予算をうまく使うことの訓練でもあったと思っています。

006_edited.jpg

構造設計、設備設計、工事部に原価部に営業部と全ての部門がビルの各フロアに居て、常にスペシャリストの話をすぐに聞ける状況は私の望んだ環境そのものでした。数えきれないほど多くの人が参加し力を合わせていくプロセスは、組織同士でコミュニケーションを積み上げていく作業でした。免震建築、スポーツ施設、銀行、社員寮など、今では考えられない規模の設計に従事させていただいていた頃です。現在の私が持っている予算はこの頃に比べると無いに等しいものですが、大きな予算を持っても萎縮しない根性だけはできています。額が大きくても小さくても、適時になったらどんぶり勘定は絶対にいけません。困る人や苦しむ人が出てくるものです。

3. だいたい1億円の売り上げをだいたい2億円にする訓練

建築資材の輸入会社(BtoB)に移った私は一度ものづくりから離れています。会社の規模に応じて役回りは限定的なものからゼネラルなものへ変化しますが、経営に近くなったのはこの時期でした。

◆WEBサイトをつくる

ホームページの製作に多額の費用が必要だった当時、建材輸入会社のWEBサイトは作ったままの状態で長い時間が経過していました。WEBサイトはビジネスに役立たないという当時の経営判断に準じ、お正月休みでWEBサイトを新設しました。役にたたないWEBサイトですので新しくなっても経営の本線に悪い影響はないという文脈です。WEBを製作したことはありませんでしたが、建築資材を採用する設計士の気持ちはわかっているつもりです。WEBサイトを短期にCMSで刷新することに成功します。

007_edited.jpg

◆顧客との接点を構築する

労働の成果をカスケード的に連動させることを念頭に、建築写真と建材写真を合成していきました。使い道は4つ、人員配置から同時進行できるプランを遂行していきました。

008_edited.jpg

①メルマガ配信フローを作る

社歴の長い老舗建築資材会社には数万件の顧客リストが眠っていました。合成写真と建材スペックをA4サイズ1枚にまとめたPDF資料を既存顧客リストにお送りします。メルマガの配信フローを整備し、脳科学的にストレスになりにくい範囲で配信を行います。このA4サイズ資料は、設計士が打ち合わせの素材提案でそのまま使いやすい資料になっています。

003_edited.jpg

②WEBコンテンツの拡充

全てのA4サイズ資料をWEBサイトからダウンロードできるよう整備していきます。建築主の意向によって選ぶ素材も変わってきますので、メルマガで配信する単発情報をストックし選べる環境を整えます。SEOを鑑みながらキーワードを集中的に練り込み、滞在時間の長時間化を資料の充実で促進していきます。

002_edited.jpg

③SNSページを整備する

A4サイズの資料はJpegでSNSによって配信を行います。建築家、工務店、内装デザイナー、庭師などの既存データから見える顧客像に加え、最終決定者である建築主を意識したカジュアルな内容です。施主支給スタイルが伸びていることを踏まえつつ、SNSの広告運用を独自に開始したのはこの頃からです。

004_edited.jpg

④フルカラーカタログ200Pを装備する。

A4サイズ資料の正体はカタログの分割したページです。既存顧客の接点をメルマガで定期化し、潜在顧客との接点をSNSでカジュアルに構築しつつ、WEBを受け皿として滞在時間を長時間化させていきます。それは予算のかかるカタログ製作を兼ねており、シーズンで発刊するカタログを自動的に増強していきます。設計士のデスクにマイカタログとして置いてもらう事を最重要視した施策でした。ここまでの施策はさまざまな業種で調整しながら使える手段ではないかと感じています。

001_edited.jpg

◆廃材を商品にかえつつストック倉庫のキャパを確保する。
販売量が増えれば倉庫の回転率は上がり、徐々にストックする量も増えてきます。海上で数ヶ月の輸送期間が必要となる国際流通では、ストックできる量がクライアントの要求にタイムリーに応える要です。倉庫の現地測量から始めてスペースを平面図に書き起こし、出荷頻度に合わせて在庫のレイアウトを変更していきました。フォークリフトの免許を取得し、愛車のTOYOTA2tを走り回らせていた頃です。流通できない経緯を持った廃材が見える化したのも同時期。廃棄するには多額の費用が必要となりますが、一工夫を加えて半月ほどで数百万円の売り上げに変換することに成功します。顧客との接点を複数構築していたための成果ですが、廃材だからと安く売ることはせずに、掛けた手間は単価に計上したことも成功の要因と考えています。

◆輸入会社をファブレスメーカー化する
同じ商材を輸入する競合が出てきた場合、すぐに価格競争が始まるジレンマを長年抱えていました。しかし廃材であっても高単価で販売した実績があります。そこで、国際的に流通する規格ではなく、日本市場向けのオリジナル商材の開発を進めました。ここには専門業ならではの多くのロジックがあり、バイヤーとして海外で集めていた情報が活かされています。建築そのものを設計していた経歴から、建築資材を設計するプロダクトデザインの領域に進んでいたことになります。新規事業を創出せずとも、やれることは多いと思っています。

4. ベルギーに買い付けに行ったら魂を喰われた

ベルギー.jpg

都市デザインを専攻していた学生時代に研究していたのは、ざっくり申しますと地域の素材と街の風景の関係性でした。そんなこともあり、新しい土地にいくと自然とその街の景観と素材の物理的な性質をみたりしています。ブラタモリに近い感覚です。ベルギーの街にはその土地で採れる天然石が使用されており、雨に濡れると青みがかった黒が印象的です。使っている工具の跡も特徴的で、それは石の組成に影響を受けている印象でした。そんなブラタモリななか、キッチンなどの水回りを大掛かりに作るスタジオに出逢います。

彼らはベルギーの石を使い、ベルギーの納屋だった木を使い、鍛造した金属なども使います。彼らが作るインテリアはベルギーの街でした。講評する立場などではありませんが、下手な英語で感動したことを何度も伝えました。喜んでくれて教えてくれたのは、顧客はEU全域に広がっており、ミラノやパリ、ロンドンで計画が進行中とのことでした。輸送するパーツに分解して再構成するプロセスも設計の範疇です。スタッフは30名ほど、木、鉄、石とそれぞれ全く異なる性質を扱うスタッフがおり、ボスがインテリアとして統合しています。エコ、エシカル、SDGsの文脈でも説明できるものですが、圧倒的にカッコ良かったです。

フランス語やオランダ語などが混じるベルギーで、名前も発音できないスタジオに魂を喰われ、私はまた物作りをすることになりました。私に建築への固執は全くなく、残っているのは「地域の素材と町の技術」「ローカルとグローバル」というシンプルなものです。

イタリア.jpg

​写真が出てきまして、蛇足です。イタリア出張で民泊した時の成功事例です。ホストはLUCA。半分イタリア語まがいの本格的な国際英語で、滞在中のゴミの出し方を流暢に教えてくれます。ゴミの出し方に不安を覚えつつもバルコニーは独り占め、家族で行きたかった思い出の宿です。

5. またビジネスモデルを作る

銀行さんが主催する会に出席する機会があり、社会人になってからビジネスプランを作成しました。イニシャルコストはざっと150万円ほど、すぐに実行できそうだと太鼓判をいただきました。頭取が楽しそうに笑いながら言った言葉が忘れられません。「で、うちはいつ出資するの?」と。自分の商売はそっちのけ、その上で最優秀賞を下さるのですから、きっと根の良い銀行さんなのだと思いました。

ビジネスモデルと大掛かりな建築の設計は少し似ているところがあります。建築の設計は概ねその通りに進みますが(みんなが根性を出すわけですが)、商いの方はなかなか計画通りにはいきません。でも、もうプランニングをするのは卒業したいと思いました。

現在サタデーファクトリーが運営されている背景には、このような成分が含まれています。0から始めている現在と、年商が数億円の場合、そしてプロジェクト単位の予算が10億円になってくるような場合とを経験しています。予算の規模に応じてできる事やすべき事、立ち回り方などの種類は変わってきますが、どれも人間がやっている点は同じように思っています。

最近は新規事業を創出するニーズが高まっていると感じています。リーマンショックにコロナと多くの事が起き、これまでの体制が持っていた不安が顕在化したことも要因だと思います。フリーランスとなった直後にコロナを迎えたサタデーファクトリーも例外ではありません。展示会に出るあてがなくなり、もはやECサイトで売る以外に手立てがなくなってしまった経緯があります。

 

全くもっていまだに危機一髪なのですが、その時期に新しく始めた広報活動と広告運用を楽しんでいただけるお客さまに支えられて存在しています。とはいえ、コロナ次第でまた時流は変わります。変わる契機はいくらでもあるなと感じています。今後も正直な商いをして参りますので、今後ともご贔屓のほど何卒よろしくお願い申し上げます。