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ローカルなもの



近所の神社かお寺です。

すごい彫り物です。ご近所すぎて見過ごしていました。

社寺建築の部材の呼び方はものすごく難しいので、なんと呼べばいいのかさっぱりわかりませんが、うねっと曲がった梁のような部分が深く彫り込まれていて見事です。獅子のようなものやゾウ?のような鼻の長いもの、雲や樹木のような模様がたくさん彫り込まれています。

ずいぶん高いところに貼られた白地に墨のステッカーのようなものは千社札、かわいがられてきた建物のように感じました。あそこまでわざわざ登ってはるのは相当です。自分の愛着のあるものに何かを「貼る」というのは愛情表現の一つでもあると思っているのですが、どうも千社札には流儀やマナーがあるようで、むやみに張ってはならないもののようです。

周りもぐるぐる回ってみましたが、彫り物がたくさんついているのはやはり正面でした。

上ばかり見ても疲れるので一応下のほうものぞいてみると、地味すぎですが素通りできないものがありました。


石に据えられた柱です。

石はほとんどそのまま加工せずに使用しているように見え、上に据えた木は石の自由な形に添わせて加工されています。ピッタリ馴染ませているのではまり込んでいるようにも見え、単に乗っているだけより格段にズレにくそうです。

木の加工がものすごく難しいので、今の加工技術から見れば石を平らに削るほうが良さそうです。

でも、当時はそうではなかったのかもしれません。石を平らに均すのなら、木を複雑に加工して据え付けたほうが工程が少なく、出来るものもズレにくいし合理的だったのかもしれません。

どんな道具をしようするのかすらさっぱりわかりませんが、なるべく自然の状態を活かすナチュラルな雰囲気を持った技術だと感じました。石の形は全て異なるので、柱の足元はすべて微妙に違う1点物のようにできています。もっと平らな石もあったのでないか?と思わせる石もちらほらとありますが、いずれもきっちり仕舞いをつけています。うなるところです。

水平でない、直線でない、直角でない、こういうものは本当に扱うのが大変です。きっとこの石の上に柱を据えるぞと心に決めるとき、もう少し平らな石ないのかな?とか、もう少し凸凹の少ない石はないものかと思ったはずです。


正直なところ、クレートから取り出した古材を家具に仕立て直そうとする以前は、こんなことを想像することはありませんでした。世の中の多くの素材は直線や直角に近い形に下準備されているため、単に四角いマスを作るにも下準備が既にしっかりできています。うねったり反ったり、幅も一定でなければ厚さも異なるクレートウッドのような素材には、いつものモノの作り方が通用しません。


ところで、石の上に立つあの建物の近くには中流域の川が2本あり、この手の大きさの水に洗われた石がたくさん転がっています。あの石は近所の川から拾われてきたものなのかもしれません。

木材は地場か運搬に使う川の上流域で採取されたものが多い事を考えると、すごくローカルな素材で作られた建物のような気がします。

私達作業員の各々にも作業で生じる副産物的なローカルな素材があります。クレートウッドは海外から輸送用の木箱として運ばれて来た副産物です。それを丁寧に解体して生け捕りにした、作業場で取れるローカルな素材です。

きっとあの社寺建築は、地域的ローカルな素材にすごい技を投入し、伝統的なルールに則って作られた建物です。私達がクレートウッドを使用して作るインテリアは、現代的ローカルな素材に持てる技を投入し、真面目なルールに則って作られた家具です。

自由な形をした石の上にきっちりと据えられた木、だから私は素通りできなかったのかもしれません。

あれは地味ですがすごい仕事です。

いつの日か、宮大工さんとも仕事がしたいと思っています。

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